2009年06月19日

減数分裂における染色体の挙動と染色体説の提唱

遺伝の染色体説を明確に提唱したのはウォルター・S・サットンの1902年の論文が最初である。彼はバッタの一種 Brachystola magna を用いて減数分裂の細胞学的な研究を行い、配偶子形成における染色体の挙動がメンデルの法則に従うことを見いだした。メンデルの法則が再発見されて間もない頃である。

サットンはこの昆虫では染色体が大きくはっきりと観察できる利点を利用し、配偶子形成における染色体の観察を行った。1902年の論文『 Brachystola magna における染色体群の形態について』において、配偶子形成時の細胞分裂では相同な染色体(相同染色体)どうしが対を作っており、これらが配偶子に一つずつ分配され、染色体数の半減、すなわち減数分裂が起こることを示した(右図、および減数分裂の項目参照)(Sutton, 1902) 。配偶子形成における染色体の減数と分配が明らかになったことで、それまで推測の域を出なかった染色体説に対して最初の明示的な証拠が提出された。この論文の最後の段落でサットンは「この現象がメンデルの法則に従っており、これが遺伝の物理的基盤である可能性を示唆し、この主題について場を改めてすぐに紹介したい」と述べている。そして翌年の論文『遺伝における染色体』では、この仮説をより発展させ、それぞれの染色分体がランダムに分配されることから、メンデルの法則を説明した (Sutton, 1903) 。
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配偶子がもつ染色体の組み合わせは、体細胞の相同染色体対の累乗であり、次世代における染色体の組み合わせはさらに累乗する。つまり2組の相同染色体をもつ場合、配偶子は 22=4、次世代は 42=16 通り生じる。これはメンデルが交配実験で得た結果と合致する(具体例はメンデルの法則を参照)。さらに、この論文では一つの染色体には多数の遺伝形質が存在することを予言し、またそれらは不分離だろうと述べている(実際には組換えが起こる)。

ここにおいて25歳の大学院生だったサットンによって細胞学から遺伝現象へと手が差し伸べられたのである。後に遺伝学的手法により染色体説を実証したモーガンやスターティヴァントは「サットンの仮説で染色体説は既に完成していた」と著書や講演の中で述べている。

サットン以外にも染色体説を考えていた学者は少なからずいた。ウィルソンは1902年の論説『メンデルの遺伝の原理と生殖細胞の成熟』でサットンの他にW・A・キャノンとテオドール・ボヴェリに触れている (Wilson, 1902)。コロンビア大学の学生だったキャノンは、やや直接的ではないもののサットンとは独立に、綿花を用いた妊性の実験から同様の結論に到達していた。彼の論文は1902年に発表されている。ウィルソンが染色体説を「サットン-ボヴェリの染色体説」と呼んだことからもわかるように、ドイツの細胞学者テオドール・ボヴェリも同時期に同様の構想をもっていたと言われる。しかし彼はこの時期には直接的に染色体説を示唆する論文を書いていない。ただしウマノカイチュウやウニを用いて研究を行っており、受精卵の染色体は卵と精子から半分ずつ由来することや、卵の細胞核を除いて受精させてもある程度まで発生が進むことを観察していた。これらは染色体説を支持する観察である。

2009年06月01日

麻薬の密輸

1839年11月3日、林則徐による貿易拒否の返答を口実にイギリスは戦火を開き、清国船団を壊滅させた。「麻薬の密輸」という開戦理由にイギリス本国の議会でも、野党保守党のウィリアム・グラッドストン(後の首相)らを中心に『こんな恥さらしな戦争はない』などと反対の声が強かったが、清に対する出兵に関する予算案は賛成271票、反対262票の僅差で承認され、この議決を受けたイギリス海軍は、イギリス東洋艦隊を編成して派遣した。

艦隊は広州へは赴かず、いきなり天津沖に姿を現した。北京に近い天津に軍艦が現れたことに驚いた清政府は(政権内の権力闘争も加わって)林則徐を解任し、イギリスに対する政策を軟化させた。

1840年11月、イギリス艦隊は清政府に対して香港割譲などの要求を出す。清政府はこれを拒否し、翌年1月7日、艦隊は攻撃を開始した。虎門の戦いでは関天培らが奮戦するもイギリス側は完全に制海権を握り、火力にも優るイギリス側が自由に上陸地点を選択できる状況下、戦争は複数の拠点を防御しなければならない清側正規軍に対する、一方的な各個撃破の様相を呈した。

1841年5月、広州に上陸した英軍は略奪や暴行事件を起こして民衆の怒りを買い、正規軍である八旗兵ではなく、三元里と周辺の郷村の一万余の民衆が決起して「平英団」を名乗り、イギリス軍を包囲して攻撃した。 折からの豪雨で英軍は火器が使用できない状態で、刀や矛で襲いかかる三元里住民の攻撃に対して銃剣で防戦するも、英軍は全滅の危機に晒された。 英軍は広州の清朝政府に包囲の解除を求め、からくも脱出に成功した。
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1842年8月29日、両国は江寧(南京)条約に調印し、阿片戦争は終結した。

この条約で清は多額の賠償金と香港の割譲、広東、厦門、福州、寧波、上海の開港を認め、また、翌年の虎門寨追加条約では治外法権、関税自主権放棄、最恵国待遇条項承認などを余儀なくされた。ただ意外にも戦争の原因となったアヘンについては特には触れられなかった。この戦争の発端となった恥ずべき原因を文書上に残すことをイギリス側が躊躇したためである。

このイギリスと清との不平等条約に他の列強諸国も便乗するところとなり、アメリカ合衆国との望厦条約、フランスとの黄埔条約などが結ばれている。

この戦争をイギリスが引き起こした目的は大きく言って2つある。それは、東アジアで支配的存在であった中国を中心とする朝貢体制の打破と、厳しい貿易制限を撤廃して自国の商品をもっと中国側に買わせることである。しかし、結果として中英間における外交体制に大きな風穴を開けることには成功したものの、もう一つの経済的目的「全ての中国人にイギリス製の靴下を履かせる」という目論見は達成されなかった。中国製の綿製品がイギリス製品の輸入を阻害したからである。これを良しとしなかったイギリスは次の機会をうかがうようになり、これが第二次阿片戦争とも言われるアロー戦争へとつながっていくことになった。

現行法令として有効と解される太政官布告・太政官達

2009年(平成21年)5月現在、現行法令としての効力を有すると解される太政官布告・太政官達は、法令データ提供システムには11件、日本法令索引には10件が掲載されている。ただ、効力が存続しているか否か解釈が分かれるものもあるため、掲載されている布告・達には若干違いがある[2]。

改暦ノ布告(明治5年太政官布告第337号)
太陽太陰暦(旧暦、天保暦)から太陽暦(新暦)への改暦を布告。グレゴリオ暦の導入を目的としたが、グレゴリオ暦の重要な要素である「西暦の年が、100で割り切れて、かつ400で割り切れない年は閏年としない。」というルールが脱落していたことが後に判明した。このため、閏年ニ関スル件(明治31年勅令第90号)により不備が補われた。
絞罪器械図式(明治6年太政官布告第65号)
死刑の執行に使用する器械の形状を定めた布告。法律としての効力を有するとした最高裁判例がある(最高裁昭和36年7月19日大法廷判決 『最高裁判所刑事判例集』15巻7号1106頁)。
勲章制定ノ件(明治8年太政官布告第54号) ※2003年(平成15年)4月30日までの旧件名「勲章従軍記章制定ノ件」
栄典の一種である勲章について定めた布告。行政解釈では政令としての効力を有するとされているため、改正は政令により行われる(2002年(平成14年)8月12日公布の政令第277号による改正)。もっとも、憲法学者の間では、栄典の授与は日本国憲法の下では法律事項であるとして、違憲ではないかとする見解も有力である[3]。
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不用物品等払下ノトキ其管庁所属ノ官吏入札禁止ノ件(明治8年太政官達第152号)
国有財産の払い下げにおいて、その監督官庁に所属する公務員(簡単に言えば監督庁職員)の入札を禁じた達。国立国会図書館が運営する日本法令索引では、廃止法令に挙げられている。国有財産法16条に類似の規定がある。
裁判事務心得(明治8年太政官布告第103号)
裁判の際の法源の適用原則などを明らかにした布告。法令データ提供システムでは、3条、4条、5条に限って挙げられている。刑事に関する事項が失効していることは争いはないが、民事に関する事項について現在でも効力が残っているか、残っているとしてその範囲等については争いがある。効力があると解される場合は、法律としての効力があることになる。
大勲位菊花大綬章及副章製式ノ件(明治10年太政官達第97号)
大勲位菊花大綬章(及び副章)の製式を規定した達。政令としての効力を有すると解されている。
刑法(明治13年太政官布告第36号)
日本の現行刑法(明治40年法律45号)の制定に伴い廃止された旧刑法のことである。刑法施行法(明治41年法律第29号)25条、37条により、附加刑としての剥奪公権・停止公権の内容に関する規定の一部、公選の投票を偽造する罪に関する規定が効力を有するものとされている。ただし、剥奪公権等の存続は、旧刑法下で科された刑の旧刑法廃止後における効力の整備を目的としたものであり、旧刑法廃止後も科すことを認めた規定ではない(各種の法律で欠格事由等として同旨のことが個別的に定められていることはあるが、刑罰としての扱いではない)。公選の投票については、公職選挙法の適用を受けない選挙(公法人の役員選挙など)に適用される。
褒章条例(明治14年太政官布告第63号)
栄典の一種である褒章について定めた布告。旧憲法下では勅令により数次の改正が行われており(旧憲法下では栄典の授与は天皇大権事項)、日本国憲法下の行政解釈でも政令としての効力を有するとの解釈のもと、政令で改正されたことがある(昭和30年政令第7号、平成14年政令第278号など)。しかし、法律の存在を前提とせず政令で憲法を直接実施することは認められないとの解釈が通説であり[4]、褒章条例を政令によって改正したのは失当とする見解が呈示されている[5]。
官報の発行(明治16年太政官達第27号)
官報を発行するとした達。
爆発物取締罰則(明治17年太政官布告第32号)
治安を妨げ又は人の身体財産を害する目的による爆発物の使用等を処罰する布告。法律としての効力を有する(最二昭和34年7月3日刑集13巻7号1075号)。
海底電信線保護万国連合条約(明治18年太政官布告第17号)
海底電信線保護万国連合条約に加入したことを示す布告。

2009年04月29日

神話研究

江戸時代までは、官選の正史として記述された『日本書紀』の方が重要視され、『古事記』はあまり重視されていなかった。江戸中期以降、本居宣長の『古事記伝』など国学の発展によって、『日本書紀』よりも古く、かつ漢文だけでなく日本の言葉も混ぜて書かれた『古事記』の方が重視されるようになり、現在に至っている。

明治以降は、皇国史観によって日本神話の記述が神聖視され、神話研究はそれ以前よりも後退することとなった。大正時代に津田左右吉が『神代史の新しい研究』ほかを発表し、日本神話に科学的な観点から批評を行い、神代記は政治的な意図で作られた創作であると結論づけた。戦前は不敬罪として弾圧されたが、戦後になって注目され、しばらくの間、津田の説が日本神話研究の中心となった。現在では津田説が細部まで正しいとは必ずしも考えられてはいないが、日本神話を考古学などの証拠なく弥生・古墳時代の史的事実の反映と考える説は基本的に退けられている。

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今日では、意図的な改変や創作がかなり加えられてはいるが、そのようなものの見方をする古代の人たちがいたことに注目する文化的背景を考察する考え方が主流となっている。

2009年04月14日

中国武術

中国武術(ちゅうごくぶじゅつ)とは、中国大陸に起源を持つ武術の総称。「中国武術」は中国では単に武術(ウーシュー、wǔshù)、台湾省では國術(グォーシュー、guóshù)(日本でこれから転じて国術)、広東省など両広地方では功夫 とも呼ばれる。また、中国で単に「武術」というと世界中の武術、武道、格闘技全般を指すこともある。

中国拳法とも日本ではよく呼ばれるが、中国での名称である武術という言葉が示すのは徒手技術である拳法のみではなく、火器を除く武器術も含まれる。武器は中国においては器械、または兵器と呼ばれ、刀や剣に代表される短器械、槍や棍に代表される長器械などがある。中国の武術の門派の数は有名なものだけで400とも600とも言われるが、徒手拳術と器械を備えている門派が多い。

現在、「武術」(ウーシュー、日本名「武術太極拳」)の競技名で点数制の套路競技(表演競技)や散手(散打)競技(徒手の組手競技)が中国国内だけでなく国際的に行われている。(この国際競技スポーツとしての「武術(武術太極拳)」は、節「伝統拳と制定拳」や武術太極拳を参照)

中国では武術の目的は「看」、「健身」、「実用」、すなわち見て美しい演武を行うこと、体を鍛えて健康になること、そして相手を殺傷できる力をつけることの3つであると考えられている。「看」の側面を強調したものは表演武術である。「健身」の側面を強調したものは太極拳である。太極拳の愛好者は世界中に大勢いるが多くの人が武術としてよりも健康法として行っている。「実用」の側面は現代では表だって行われることは無いが、伝統拳を伝える老師の多くは実用性を重視した練習方法を伝えている。いずれかが強調される場合はあるものの、この3つが揃って初めて武術と呼べるものであり、いずれかを欠いた場合には武術ではない何か、ダンス競技や健康体操、あるいはただの格闘技となってしまうという考え方もある。
中国武術の起源は、漢王朝(前漢・後漢。紀元前206年 - 220年)の時代に黄河沿いに住んだ人々の実戦スポーツだといわれている。その後、間もなく娯楽の要素としてや健康法としても扱われるようになった。現在、中国武術の門派は数え切れない程ある。そのそれぞれが自らの門派の起源に関する逸話を持っているが、自らの門派が優れたものであることを示すために伝説上の有名人や英雄に創始者を仮託しているものも多く見られる。最も有名な少林拳、太極拳について開祖伝説を記しておく。 右の壁画は、松田隆智の著書『少林拳術羅漢拳』によると、「中国で発行されている『世界体育』に、壁画は元南京軍区副司令員の銭釣将軍が1917年から1921年にかけて描いたものであるという。」

少林拳の開祖伝説
河南省嵩山にある禅宗の寺院である少林寺は武術の修行場所としても有名であるが、少林寺の武術の起源として、インドから来た菩提達磨が始祖であるという。菩提達磨が少林寺に来て禅宗の教えを授ける際に、少林寺の僧侶たちが体力が無くて精神を鍛えることが出来ないことを嘆き、体力を鍛える秘法、易筋行、洗髄行を授けた。その後洗髄行は失伝したが、易筋行を元にして少林寺で十八羅漢手という武術が発達し、これを元にして少林拳が出来たという。実際には菩提達磨が少林寺で坐禅をしたという伝説があるのみで、武術を授けたというのは後世に作られた逸話といわれている。
太極拳の開祖伝説
少林寺で修行した張三豊は、その後に武当山にこもって修行し、道教の吐納法(呼吸法)や導引術(心身鍛錬法)などを合わせた内家拳(太極拳・形意拳・八卦掌・六合八法拳)を編み出した、とされる。ただし、この逸話は、少林寺の武術よりも柔軟な体術を使い、より洗練された武術であるとの主張をしたいがために、伝説的な仙人であった張三豊を始祖とし、元少林寺で学んで更に工夫したという話を繰り入れただけの作り話であると考えられている。歴史的にはっきりしている太極拳の源流は、河南省の陳家溝という村にあり、ここでは代々、陳氏の一族に伝えられている武術があった。古い武術、おそらくは同じ河南省にある少林寺系統の武術が狭く一族だけに伝えられる内に独自の発達をしたものであると言われている。また、陳氏の武術には戚継光が著した『紀効新書』の「拳経」三十二勢から技法が採用されている。
義和団の乱

しょうや ムンバ イルラ 永遠の約束 ブースター サルフ 享禄 きんちゃく パンダル マネタリ アップ アート フラゲ ニュース 星かげ 月の宮 スタジ 野の花 リミット トラック 日本海 ケーソ ブラワサ じょうるり レビュー 未来世紀 ビッドレ オーバ ストーンカメ 女峰 ブッファ シャリン セイシェル ファイ シング スチーム ティグ バトル ストップ レーダー オーパーツ ブイエ デデリ ギブアップ ピラー 時計台 タネソウ サーチカヤ タイミ レジュ

2009年03月30日

ばんじゅう

ばんじゅうは主に食品業界で利用される、薄型の運搬容器の総称。番重などの漢字を当てることもある。
秋日和 プレス タンポポ ダブル マイケル ビーカー ナリラ フェア ストリ テロメ シャープ オール シャッポ ゆりはま ユーアー フレア トルク リリシ マルチ ソファ ウテルス みこも コデマリ ノータッチ ヘルパー ミョウガ シビア ゼッケン プラー フィンランド 仙人掌 ゲル対策 美の気配 スタッカー ヌートリア パンサー グロビン かいづか プロポョン スイング オステ ノール おのいし お座敷 パラッツ ゆとう シナモン フットケア サポーター バスターズ

本来のばんじゅうは木製で、ふたのない箱である。両端に運搬者が手をかけられるように穴があけられていることもある。大きさは様々であるが、ひと一人が両手で持てることが基本である。特徴としては薄型(縁〈ふち〉の高さが15cm以下が大半)であることと、厚板が用いられていることが挙げられる。これは運搬容器として、また積み重ねに耐えるために丈夫さが求められたためであると思われる。主に製菓、製パン及び製麺等、製品の湿度管理が重要な製造業で用いられた。

現在のばんじゅうは合成樹脂製が大半であるが、一部木製やアルミニウム製のものも使用されている。また、ふた付のばんじゅうは合成樹脂製が出回るようになってから製造されるようになったものである。

合成樹脂製のばんじゅうが作られるようになってからは従来の製造業種だけでなく、弁当や豆腐等の製造業でも運送用の通い箱(コンテナ)として用いられている。また、それに伴って深型のばんじゅうも製造されるようになっている。

2009年03月14日

ハル・サフリエニの地下墳墓

ハル・サフリエニの地下墳墓は、マルタ島のパオラ(Paola)で発見された、紀元前2500年頃に遡る地下構造物である。本来は宗教上の聖域として作られたと考えられているが、先史時代の内に共同地下納骨堂に転用された。これは世界で唯一の先史時代の地下墳墓である。

この遺跡は1902年に偶然発見された。新しい住宅開発のために貯水槽を切削していた労働者が、遺跡の屋根を突き抜いてしまったのである。労働者たちは当初神殿を隠そうとしたが、結局は公表された。構造物の研究は、当初、the Museums Committeeを代表して発掘を主導していたイエズス会士、マヌエル・マグリ(Manuel Magri)に委ねられた。マグリはその報告書が公刊されるのを見ることなく、1907年に亡くなった。マグリの急死を受けて、発掘はテミ・ザミット卿(Sir Temi Zammit)のもとで再開された。

1980年にはユネスコの世界遺産リストに登録され、その記念としてマルタの切手のデザインには、この地下墳墓が採用されたものがある。

1992年から1996年の間は、修復工事のため、観光客の立ち入りが禁止された。再公開後は入場者数が制限されている。2007年時点では、1日の入場者数は最大で70人(完全予約制)である[1]。
ノーメーク ジェルカン かじぼう スリナ ひこぼ ビオトープ マイクナキ フルーツ カラー ロッキー スイン ナナカマ けいは でんと ノクラス あみだ ジャン ストーン いかりがせ ハーモニー オーリ シングル キッザニ ガポド キック ヤード ダン アップテロ トリガー タフタ ムチン キューテ タイゲーム ハーフアド ききょう リズム でんでん イーグル ディルド オーラオン スケート ラッシ フルート 時の舟 セラック キープ モノクロ デリック フリーラ ブラック

構造物 [編集]

第一階層 [編集]
第一階層はマルタのXemxijaで発見された墓に似ている。幾つかの部屋は、自然の洞窟をもとにして人工的に拡張されたものである。出土品からは、これが最古の階層であると言いうる。当時の建設者たちがこの階層ではもはや十分でないと判断した時に、第二階層が開かれた。第一階層は地上からわずか10 m 下に位置している。

第二階層 [編集]
この階層は石造建築の白眉といえる技術を見せてくれる。中央の部屋、至聖所、神託の部屋など、いくつかの重要な部屋を見る事ができる。

中央の部屋
この部屋は岩を刳りぬいて作られたほぼ円形の部屋である。多くの入り口が掘られているが、別の部屋に繋がっているものもあれば、形が彫られているだけで開かないものもある。壁面の多くには、オーカーで薄い赤色がつけられている。

「眠れる貴婦人」像が発見されたのもこの部屋からである。副葬品だったと推測されているこれらの小像は、バレッタの考古学博物館に保管されている。

神託の部屋(the Oracle's Room)
神託の部屋はほぼ直角形で、中央の部屋につながる部屋の中では最小の部類に属する。この部屋には力強い反響を生み出すという風変わりな特色があった。男性の野太い声は反響するが、女性の細い声は反響しないのである。

この部屋には赤いオーカーで描かれた螺旋模様と斑点からなる精緻な天井画が存在している。

装飾された部屋(The Decorated Room)
神託の部屋を出て、右側に別の広々とした円形の部屋がある。その部屋の傾斜がついた壁の滑らかな壁面は、螺旋等を描いた幾何学的模様で埋め尽くされている。

ヘビ穴(The Snake Pit)
第二階層には、2 m の深さの穴がある。ヘビを飼っていたか、施しを集めていたかのいずれかの目的に使われていたと考えられている。

至聖所(Holy of Holies)
この部屋の中心は、トリリトン(trilithon)の中にある銃眼のような穴(porthole)だが、そのトリリトン自体がより大きなトリリトンの中にあるのである。

第三階層 [編集]
最下層からは骨は見つかっておらず、水しか出てこない。そのことは、この階層が穀類か何かの貯蔵庫だったことを強くうかがわせる。

2009年02月26日

キニスン一族

キムボール・K・キニスン:地球人。通称キム。第二段階レンズマン。レンズマン養成校を首席で卒業。アリシア人の再訓練を受け、最初の第二段階レンズマンとなる。後に銀河調整官に就任する。『銀河パトロール隊』、『グレー・レンズマン』、『第二段階レンズマン』の主人公。デラメーターの早撃ちの名手。工作員として優秀なばかりでなく、自由な発想で様々な新兵器の開発を提案し、ボスコーンとの戦いを推進、勝利に導く。対ボスコニア戦争の象徴的存在であり、『レンズの子供たち』の時代には、単に「グレー・レンズマン」といえば彼の事を指す。
彼の言葉によれば、銀河パトロール隊の慣習として、困難な任務にはまず最適任と思われる人材を差し向け、彼(ら)に解決できない場合は、その時のレンズマン養成校の首席卒業者を派遣する事になっている、という。新任のレンズマンであった彼が、ボスコーンの新動力を奪取する「ブリタニア号」作戦に抜擢されたのはこの為である。
クラリッサ・メイ・マクドゥガル:地球人。第二段階レンズマン。レーシーの下で看護婦を務めていた。キムの恋人となり、後に結婚して妻となる。恋人時代は通称マック、結婚後はクリス。のちの日本における劇場/TVアニメ版およびその派生作品上ではクリスと呼称される。史上初の女性レンズマンとなり、その赤毛から敬愛をこめて“レッド”・レンズマンと呼ばれる。
クリストファー(キット)・キニスン:キムとクリスの息子。第三段階レンズマン。クロヴィアの生まれだが、銀河調整官の息子として特別扱いされぬ様、地球のレンズマン養成校に入学し、首席で卒業した。その後すぐに独立レンズマンとなる。レンズの子供たちのリーダー役。アリシア人の後継者として育成された彼らは、両親や他の第二段階レンズマンたちをも遥かに凌ぐ能力を有し、事実上人類ではない。レンズの子供たちがその能力を最大限に発揮する必要がある時は、彼を中心として「ユニティ(統一体)」を形成する。
キャスリン(キャット)・キニスン:キムとクリスの長女。第三段階レンズマン。キャットとケイ、カムとコンはそれぞれ双子。彼女たちの能力はそれぞれ特徴があり、それぞれの得意分野で最大限の能力を発揮する(そうなるようにアリシア人が血統の操作を行なってきた)。キャットの能力の特徴はその包容力である。妹たちがそれぞれ性分に合った第二段階レンズマンをパートナーとしている為、「消去法により」父親をパートナーとする(父親を取り合って喧嘩になりかけた時、こう言って妹たちを納得させた)。
カレン(ケイ)・キニスン:キムとクリスの次女。第三段階レンズマン。能力の特徴は防御力。ほとんど不屈の意思を持ち、何者の強制も受けつけない(メンターにさえ反抗したことがある)。ナドレックをパートナーとする。
カミラ(カム)・キニスン:キムとクリスの三女。第三段階レンズマン。能力の特徴は探査・分析。トレゴンシーをパートナーとする。
コンスタンス(コン)・キニスン:キムとクリスの四女。第三段階レンズマン。能力の特徴は攻撃力。極めて強力な闘士だが、持続力は乏しい。ウォーゼルをパートナーとする。
ロデリック・“ロッド・ザ・ロック”・キニスン:地球人。キムの先祖、ファースト・レンズマンの親友。銀河パトロール隊初代空港長官。北アメリカの大統領に就任し、初のレンズマン国家元首となる。彼のレンズはサムズが受け取った為、恐らく史上唯一の、メンターに「直接」会った事の無いレンズマンであると思われる。
ジャック・K・キニスン:ロデリックの息子。優秀なエージェントだが、やや短気で喧嘩っぱやいところがある。ジル(ヴァージル・サムスの娘)とは(アリシア人の心理操作の影響で)犬猿の仲。ただし戦友としてお互いを認め合ってはいる。アリシアに赴いた際は、アリシアに着陸せず、純粋エネルギー体のようなメンターと話し、レンズや腕輪は希薄な空中から出現して彼の腕にはまったという。当時としては最も「真実」に近い体験をしたレンズマンである。

レンズマン達
ウォーゼル:ヴェランシア人。第二段階レンズマン。全長10メートル近いドラゴン(外見的には東洋の龍に近い)状の生物。
トレゴンシー:リゲル人。第二段階レンズマン。直立したドラム缶状の生物。
ナドレック:パレイン系第7惑星人。第二段階レンズマン。極低温で進化したため、身体の一部(もしくは大半が)五次元的に拡張されている冷血生物。
ヘインズ空港長官:地球人。レンズマン。キムの上司でよき理解者。銀河パトロール隊地球基地の最高責任者。戦略・戦術の達人。レーシー、ホーヘンドルフとは旧友。
レーシー外科部長:地球人。レンズマン。クラリッサの上司。医者を困らせる患者が好きと公言する変わり者。医学の他、骨相学の権威でもある。彼によればキムとクリスは完璧な骨格を持っているとの事。また彼は、「渦動破壊者」ニール・“ストーム”・クラウドについても「みごとな骨格だ、実にすばらしい」と賞賛している。
フリッツ・フォン・フォーヘンドルフ(ホーヘンドルフ):地球人。レンズマン。レンズマン養成校校長。キムの恩師。
ジェロンド:ラデリックス基地の司令官。キムの評によれば、レンズマンとしての能力はさほど優秀ではなく、いささか権威主義的な傾向があるとのこと。
クリフォード・メートランド:地球人。レンズマン。レンズマン養成校ではキムと同じクラス。通称クリフ。後に銀河副調整官となる。
ラウール・ラフォルジュ:地球人。レンズマン。レンズマン養成校ではキムと同じクラス。後に空港長官となる。
ヴィーデル・ホルムバーグ:地球人。レンズマン。レンズマン養成校ではキムと同じクラス。惜しくも殉職した。
ヴァージル・サムス(サムズ):地球人。ファースト・レンズマン。銀河評議会初代議長。銀河パトロール隊創立の原動力となった。クラリッサの先祖。アリシアのメンターは彼と会見した際、クラリッサがスレール陥落の後にある店で衣料品を大量に買い込む様子を予言した(サムズには確認できない事項なので言いかけて止め、代わりにサムズ自身に関する事項を予言した)。
コンウェー・コスティガン:地球人。レンズマン。サムズの部下。腕利きの工作員。愛称は「スパッド(じゃがいも)」。本来は「三惑星連合軍」のヒーロー。
メースン・ノースロップ:地球人。レンズマン。サムズの部下。一流の技術者。大柄で力も強く、格闘も得意である。後にサムズの娘ジルと結婚する。つまり彼もクラリッサの先祖ということになる。
フレデリック・ロードブッシュ:地球人。レンズマン。トップクラスの科学者で、パトロール隊の為に様々な機器を開発したが、慣性中立装置の完成にはバーゲンホルムの助言が必要だった。
ライマン・クリーブランド:地球人。レンズマン。ロードブッシュとともに様々な機器を開発。慣性中立装置の共同開発者。
ネルス・バーゲンホルム:地球人。レンズマン。天才科学者。慣性中立化装置“バーゲンホルム機関”の実質的な発明者。地球人。実はレンズマンたちに助言を与える為に、アリシア人(主にドロウンリ)によって操作されることがある。
ドロンヴィル:リゲル人最初のレンズマン。明言はされていないがおそらくアリシア人が選抜した血統の出身で、トレゴンシーの先祖ではないかと思われる。
以下は「ファースト・レンズマン」に登場する主だったレンズマンたち。カッコ内は出身地。
ブロース フィンガ チボウ ハロゲン アゴニスト リバタ シェル ハーフ あまおう スカム シャーク ステコミ ジャブ ブレー スリー フィッシュ ポプラ ロユリ ランブル さとち マリン マンディー プラク ヒール ルノー リスト ドオオ ヒット ダンス にしなり ブール マレー ビアン ハイタッチ デッキ エイド タグ最強 ホップ ラッチ サブリ ジェイリ タバスコ ワンダン ステーキ 恋人たち プレス オフィス レイシズ とまや バージャケ

アレクサンダー・クレートン(地球・北米)
シュヴァイケルト(地球・ヨーロッパ)
ノボス(火星)
ダルナルテン(金星)
ルラリオン(北極木星)

銀河パトロール隊員(非レンズマン)
ピーター・ヴァンバスカーク(バンバスカーク、バス):オランダ系ヴァレリア人。肉弾戦闘の達人。キムの親友。ヴァン・バスカーク/バン・バスカークと表記されることもある。彼がレンズマン候補生から脱落したのは、高等数学が苦手だった為。
ヘンリー・ヘンダースン:地球人。主席パイロット。ブリタニア号、ドーントレス号のパイロットを務める。後にイロナ・ポッターと結婚し、息子のヘンリー・ジュニアもまた主席パイロットとなる。通称ハンク。
ラヴェルヌ・ソーンダイク:地球人。天才技術者。「およそ建造可能なもので彼に建造できないものはなく、建造不可能なものなら同程度に効果のある別のものを建造できる」と言われる。部下からはソーニー、キムらからはベルヌと呼ばれる。観察力も鋭いようで、アラーダイスの「不正」をただ一人見破った(しかし責めはせず、むしろ賞賛し、感謝した)。
アラーダイス:地球人。ブリタニア号の主計長。イカサマくじが得意で、それがブリタニア号作戦を成功に導くカギとなった。
オースティン・カーディンジ卿:地球人。偏屈で傲岸だが銀河文明でもトップクラスの数学と物理学の天才。地球人。
ネダイン・アーンリー:地球人。旧姓ホステッター。結婚する前は地球の最高基地に勤務しており、ヘインズの命令でキムに協力し、科学者評議会を構成するべく、銀河最高の頭脳の持ち主たちの選抜にあたった。後にスレールの資料室長となり、銀河調整官となったキムの依頼で、部下たちと共に惑星カロニアについての資料を収集する。キムは息子とカロニアの調査を5日以内に完了させるという賭けをし、彼女たちの力で見事勝利した。そして掛け金の10ミロ(1000分の10)クレジット貨幣は、その由来とともに彼女たちの執務室に麗々しく飾られる事となった。
ニール・“ストーム”・クラウド:地球人。『渦動破壊者』の主人公。『第二段階レンズマン』と『レンズの子供たち』の中間の時期に世間を騒がせていた新たな脅威「野放し原子渦動」の為に妻子を失うが、ふとした事からこれを消滅させる手段を考案し、「渦動破壊者」の名で呼ばれるようになった。通常の手段では全く予測不可能な原子渦動の変動を予測し、エネルギーを相殺する為に必要なディオデック爆薬の数量と使用の正確なタイミングを瞬間的に計算するという、いかなる電子頭脳をも凌ぐ超高速演算能力を持つ。後に彼が史上初の「第六型思考者」である事が明らかになる。

2009年02月09日

中大兄皇子(なかのおおえのおうじ/なかのおおえのみこ)

天智天皇(てんちてんのう/てんじてんのう、推古34年(626年)- 天智天皇10年12月3日(672年1月7日)。第38代天皇。国風諡号は天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと/あまつみことさきわけのみこと)。諱は葛城(かづらき/かつらぎ)。生前は葛城皇子(かづらきのみこ/かつらぎのみこ)と呼ばれていたと思われる。一般には中大兄皇子(なかのおおえのおうじ/なかのおおえのみこ)として知られる。「大兄」とは皇太子の意で、「中大兄」は「次の皇太子」を意味する語。

舒明天皇の第二皇子。母は宝皇女(のちの皇極天皇)。皇后は異母兄・古人大兄皇子の娘・倭姫王。中臣鎌足らと謀り、クーデターを起こして蘇我入鹿を殺害し、叔父・孝徳天皇を即位させ、自身は皇太子となった。そして大化という元号を制定し、様々な改革を行なった(大化の改新の中心人物、乙巳の変)。また、有間皇子などのちのちクーデターを起こしそうな勢力を罠に嵌めて死刑とした。
ヨツバ コルヒチ モネ しおざけ ネルガ ポッド あめりか フレーズ めいわ ラッピ ビンカミン ハザード ソロモン サブライ イシミカ ナシ ティング トラス プライス インチ ネオン コスト ミラショーン レコード カカオマス 白い微笑 ハンドメイド チェンジ Sロガー レンディー パネル 霜の花 レモン テレワ スター ラオオ チュニス ナビラメ きょくし ぽろり モデラート レンジ はさま ハマメリス プログラ ルフィ アゲート フクジ トリッキー マツバ

百済が660年に唐・新羅に滅ぼされたため、朝廷に滞在していた百済王子・扶余豊璋を送り返し、百済復興を図った。百済救援を指揮するために筑紫に滞在したが、661年、斉明天皇が崩御した。その後、長い間皇位に即かず称制したが、663年、白村江の戦いで大敗を喫した後、667年、大津へ遷都してそこで即位した(668年)。白村江の戦以後は、国土防衛の政策の一環として水城や烽火・防人を設置した。又、冠位もそれまでの十九階から二十六階に制度改革などを行なっている。また、670年には我が国最古の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成させている。

天智天皇は、第一皇子・大友皇子に皇位を継がせたかったと日本書紀は伝える。しかし、天智の死後に起きた壬申の乱において 弟・大海人皇子(天武天皇)が大友皇子に勝利して即位した。以降、天武系統の天皇が称徳天皇まで続く。称徳の死後、天智の孫・白壁王が光仁天皇として即位し、それ以降は天智系統となる。

大海人皇子から額田王を奪ったので、罪滅ぼしとして(自分の)娘4人を大海人皇子の元に妃として送り込んだと言われている。

系譜
皇后:倭姫王(やまとひめのおおきみ) - 古人大兄皇子女
嬪:蘇我遠智娘(おちのいらつめ) - 蘇我倉山田石川麻呂女
大田皇女(おおたのひめみこ) - 天武天皇妃 、大津皇子・大来皇女母
鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ、持統天皇) - 天武天皇后、草壁皇子母
建皇子(たけるのみこ) - 夭逝
嬪:蘇我姪娘(めいのいらつめ、桜井娘) - 蘇我倉山田石川麻呂女
御名部皇女(みなべのひめみこ) - 高市皇子妃、長屋王母
阿閇皇女(あへのひめみこ、元明天皇) - 草壁皇子妃、文武天皇・元正天皇・吉備内親王母
嬪:蘇我常陸娘(ひたちのいらつめ) - 蘇我赤兄女
山辺皇女(やまべのひめみこ) - 大津皇子妃
嬪:阿倍橘娘(たちばなのいらつめ) - 阿倍倉梯麻呂の女
明日香皇女(あすかのひめみこ)
新田部皇女(にいたべのひめみこ) - 天武天皇妃、舎人親王母
夫人:道君伊羅都売(いらつめ) - 道君氏女
志貴皇子(しきのみこ、施基皇子・春日宮天皇。後に親王) - 光仁天皇父
采女:宅子娘(やかこのいらつめ) - 伊賀国造某女?
大友皇子(おおとものみこ、弘文天皇)
(阿閇皇子 - 日本書紀に見えず、疑問)
(阿雅皇女 - 同上)
宮人:忍海造色夫古娘(しこぶこのいらつめ) - 忍海造小竜女
川島皇子(かわしまのみこ) - 淡海朝臣・春原朝臣祖
大江皇女(おおえのひめみこ) - 天武天皇妃、長皇子・弓削皇子母
泉皇女(いずみのひめみこ、後に内親王) - 伊勢斎宮
宮人:栗隈首黒媛娘(くろひめのいらつめ) - 栗隈首徳万女
水主皇女(みぬしのひめみこ、後に内親王)

略歴
推古34年(626年) - 誕生
皇極4年6月14日(645年7月12日) - 立太子
斉明7年7月24日(661年8月24日) - 称制
天智7年1月3日(668年2月20日) - 即位
天智10年12月3日(672年1月7日) - 46歳で死去(『扶桑略記』では病死説の後一説として「一云 天皇駕馬 幸山階鄕 更無還御 永交山林 不知崩所 只以履沓落處爲其山陵 以往諸皇不知因果 恒事殺害」とあり山中で行方不明になったとされることから天武天皇側による暗殺説もある)
天智天皇が長く即位しなかったことは、7世紀中葉の政治史における謎の一つである。このことについて議論されている説がいくつか存在する。 

天武天皇を推す勢力への配慮。即ち、従来定説とされてきた、天武天皇は天智天皇の弟であるというのは誤りで、皇極天皇が舒明天皇と結婚する前に生んだ漢皇子であり、彼は天智天皇の異父兄であるとする説に基づくものである。確かに、『日本書紀』の天智天皇と一部の歴史書に掲載される天武天皇の享年をもとに生年を逆算すれば、天武が年長となってしまう。しかし、同一史料間には矛盾は見られず、8~9歳程度の年齢差を設けている史料が多い。これに対しては『「父親が違うとはいえ、兄を差し置いて弟が」ということでは体裁が悪いので、意図的に天智の年齢を引き上げたのだ』との主張があるが、『「日本書紀」に見える、天智の年齢16歳は父舒明天皇が即位した時の年齢だったのを間違えて崩御した時の年齢にしてしまった。だから、本当の生年は本朝皇胤紹運録等が採用している614年だ。』との反論、『古代においては珍しくなかった空位(実際、天武の前後に在位していた天智・持統も称制をしき、直ちに即位しなかった)の為に誤差が生じたのだ。』との反論、また「日本書紀」と指摘されているその他歴史書は編纂された時代も性質も異なる為、同一には扱えないとの意見もある。(「天武天皇#年齢」の項も参照の事)
乙巳の変は軽皇子(孝徳天皇)のクーデターであり、中大兄皇子は地位を追われたという説。近年中大兄皇子と蘇我入鹿の関係が比較的良好であり、基本政策も似ていることが指摘されている。そうなると中大兄皇子が入鹿を殺害する動機がなくなる。また、日本書紀の大化の改新の記述には改竄が認められることから、この説が唱えられるようになった。また、この説では皇極天皇の退位の理由や入鹿以外の蘇我氏がクーデター後も追放されていない理由など、その他の疑問点も説明できるため注目を浴びている。
天智の女性関係に対しての反発から即位が遅れたとする説。これは、『日本書紀』に記載された孝徳天皇が妻の間人皇女(天智の同母妹)に当てた歌に彼女と天智との不倫関係を示唆するものがあるとするものである。異母兄弟姉妹間での恋愛・婚姻は許されるが、同母兄弟姉妹間でのそれは許されなかったのが当時の人々の恋愛事情だったとされる。
斉明天皇の死後に間人皇女が先々代の天皇の妃として皇位を継いでいたのであるが、何らかの事情で記録が抹消されたという説である。これは『万葉集』において「中皇命」なる人物を間人皇女とする説から来るもので、「中皇命」とは天智即位までの中継ぎの天皇であるという解釈出来るという主張である。もし間人皇女=「中皇命」とすれば、なぜ彼女だけが特別にこうした呼称で呼ばれる必要性があったのかを考えられるが、斉明天皇だとする説もあり、必ずしも確証は無い。
天智は元々有力な皇位継承者ではなかったために、皇太子を長く務めることでその正当性を内外に認知させようとした説。舒明の后には敏達・推古両天皇の皇女である田眼皇女がいるにも拘らず、敏達の曾孫に過ぎない皇極が皇后とされている点を問題とするもので、『日本書紀』の皇極を皇后とする記事を後世の顕彰記事と考え、天智は皇族を母とするとしても皇極の出自では有力な継承者になりえず、皇極の在位も短期間でその優位性を確立出来なかったために、乙巳の変後にも直ちに即位せずに皇族の長老である孝徳を押し立てて、自らは皇太子として内外に皇位継承の正当性を認知させる期間を要したとする説。
政治史という性質・史料の制約などもあり、証明は困難ではあるが、考古学的成果との連携などとも含め、今後の研究の進展が待たれる。

万葉集に4首の歌が伝わる万葉歌人でもある。小倉百人一首でも平安王朝の太祖として敬意が払われ、冒頭に以下の歌が載せられている。

秋の田の 刈穂の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
万葉集からも以下の一首。

香具山は畝傍を愛しと耳成と相争ひき神代よりかくなるらし古へもしかなれこそうつせみも褄を争ふらしき

2009年01月24日

踊る大捜査線

月のかげ ラビオリ サターン ドレス りんね テクノ ブッシュ スパイダ オーバー ブイエ ふたり星 天下り カウント ターボト リフォ プロライツ ロデオ ワーク ション 雲水 会津か シルバ カマーバ バッファー デビット ガボンド ジャップ ティー あの町 スペア ポール ブイトール ローリング オートミー トルマ ビュー ワッフ セサミ ナビマス モチの木 へんぱ シャーマ アカウンテ ストーク ナレータ しちか ブリックス タンパ アカハラ ロケハン

踊る大捜査線(おどるだいそうさせん)は、1997年1月~3月にフジテレビ系で放映された織田裕二主演の連続テレビドラマ。その後シリーズ化されテレビドラマ・映画・舞台で展開された。さらにその後も「踊るレジェンド」としてテレビドラマや映画のスピンオフ作品が作られている。

2008年3月31日、東京臨海副都心で東京湾岸警察署の開署式が行われ、それに合わせて映画版踊る大捜査線シリーズの続編製作が発表された。

本作は、制作当初のドラマとしての位置付けは「刑事ドラマ」であったが、従来の刑事ドラマの常識を覆したストーリー展開が話題を呼んだ作品であった。警視庁という「会社」の、湾岸警察署という「職場」で働く警察官という「地方公務員」で「サラリーマン」という人々の日常を描いた「業界ドラマ」の一種で、ドラマ的ジャンルとしてはいわゆる「職業もの」の部類に入る。

従来の刑事ドラマよりは比較的現実の警察社会に忠実なドラマであり、警察の抱える様々な内部矛盾、特に警察組織の厳格なキャリア制度の問題も大きなテーマとなっている。また、警官のことを「刑事」または「デカ」ではなく「捜査員」と呼び、加害者のことを「犯人」または「ホシ」ではなく「被疑者」と呼ぶなどより現実に忠実な用語法や、「発砲許可」、「パトカー手続き」、「本庁接待」など、今までの刑事ドラマでは描かれてこなかった日常の側面の描写を重視している。これらの事を描くため報道部の事件事件記者をアシスタントプロデューサーとして招聘している。

ただし、「刑事」と「犯人」というセリフについてはシーンによって違うが設定されている。また、「デカ」については第1話の青島のセリフ、第8話のタイトルと最終話の被疑者安西昭次のセリフから少なくとも3つは出ている。

シリーズ

TVシリーズ
『踊る大捜査線』(1997年1月7日~1997年3月18日、平均視聴率18.2%・最高視聴率23.1%)、初回は21:03~22:24の81分、最終回は21:02~22:14の72分拡大版。ちなみにサブタイトルは全て亀山千広プロデューサーがつけた。 最終回の放送直前には、何らかのトラブルが発生したためか、「おそれいりますが しばらくそのまま お待ちください」という表示が一分弱、放送された。 また、その前後に灰色の地に白色の文字で「18日 火曜日 22:14 SB」という表示が数秒放送された。

話数 放送日 サブタイトル ゲスト出演者 視聴率
第1話 1997年1月7日 サラリーマン刑事と最初の難事件 近藤芳正、畠山明子、伊藤眞、森廉、清水宏、山崎邦正 18.7%
第2話 1997年1月14日 愛と復讐の宅配便 伊藤俊人、篠原涼子、松本留美、西田雅彦、松重豊 16.4%
第3話 1997年1月21日 消された調書と彼女の事件 橋龍吾、清水章吾、真実一路、桜金造、水川あさみ、佐々木敏、正名僕蔵 16.5%
第4話 1997年1月28日 少女の涙と刑事のプライド 佐々木勝彦、井上慎一郎、DRAGON、KEE、滝本せいこ、沢井小次郎 15.7%
第5話 1997年2月4日 彼女の悲鳴が聞こえない 伊集院光、永松恵子、きたろう、小池栄子 18.1%
第6話 1997年2月11日 張り込み 彼女の愛と真実 布川敏和、篠原ともえ、石井トミコ、谷村好一、宇梶剛士、小木茂光、水森コウ太、三川雄三、山下裕子、石塚透、名須川京子 18.7%
第7話 1997年2月18日 タイムリミットは48時間 布川敏和、浅野和之、真木蔵人、ひがたともこ、佐伯伽耶、小野沙織、澤口夏奈子、飯田訓子、高杉航大、小木茂光 18.2%
第8話 1997年2月25日 さらば愛しき刑事 石塚英彦、岡安泰樹、袴田吉彦、山下徹大、永堀剛敏、梨本謙次郎、西秋愛菜、加門良 17.3%
第9話 1997年3月4日 湾岸署大パニック 刑事青島危機一髪 阿部サダヲ、安永亜衣、つぶやきシロー、大木凡人、てらだちなつ、奥山英志、平松あゆみ 16.3%
第10話 1997年3月11日 凶弾・雨に消えた刑事の涙 保坂尚輝、渡嘉敷勝男、真木蔵人、吉田朝、伊藤芳則、中山仁、マキシ・プリースト、宮脇順 19.1%
最終話 1997年3月18日 青島刑事よ永遠に 保坂尚輝、伊藤俊人、中山仁 、升毅 、有川博、 堀真樹 、武野功雄 、中丸新将 、原ひさ子 、山本シュウ 、宮脇順 23.1%

再放送
TVシリーズは人気が高まるとともに何度も再放送が行われた。またスペシャル番組の放送や映画の公開と絡めた再放送も何度か行われた。全話の再放送は1998年8月25日から行われたが、権利の問題や、時間枠(再放送は一般的に初回放送より時間が短く(つまり、同じ「1時間」でも再放送枠では本放送時よりCM枠が多い)、拡大版もそのまま放送することが出来ない)その他の関係で、初回放送からのシーンの入れ替え・カットや音楽の変更があった。この後再放送ではこちらが流れることが多いため、「再放送版」と呼ばれたりする(再放送版は放送するFNS各局の時間枠に合わせる関係上数パターンあると言われている)。また、最近では2007年9月下旬から10月上旬を中心にTVシリーズ放送開始10周年を記念してTVシリーズとスペシャルドラマの再放送が全国規模でされ、金曜プレステージ枠と土曜プレミアム枠で10th Anniversary特別企画と題して2週にわたって映画版・スピンオフ映画の放送もされた。映画版の放送前後には2日とも、主演の織田裕二が登場してコメントを述べた。
特殊な再放送例
『ザッツ踊る大捜査線』(2001年1月24日~2月14日、第2話、第5話、第9話、第10話)
『ザッツ踊る大捜査線ファイナル』(2001年2月20日、第11話、火曜ワイドスペシャル枠)
2001年1月、当時フジテレビで放映されていた連続ドラマ『ロケット・ボーイ』で、主演である織田裕二が体調不良(椎間板ヘルニア)により緊急入院し、収録・放送が完全に不可能となったことから、急遽4週に渡り『ザッツ踊る大捜査線』と題し、特徴のある4エピソードに『ロケット・ボーイ』出演者(市川染五郎、ユースケ・サンタマリア(織田裕二と同様に両作品に出演))のコント仕立ての解説を繋いだものを製作・放送し、大きな反響を巻き起こした(この4週の再放送の平均視聴率は21.3%にも及んでおり、これは『ロケット・ボーイ』本編の平均視聴率(18.3%)を上回っている)。この再放送が好評で、また10話の内容で終了し、「結末が観たい」という視聴者の要望が非常に多かったことから、急遽『ザッツ踊る大捜査線ファイナル』として11話の再放送を行った。
『踊るII放送記念!!踊る大捜査線リピート』(2004年12月30日第1話~第4話、31日第5話~第11話)
翌2005年の正月に劇場映画第二作を地上波で放送するための事前企画として放送された。この番組はローカル枠扱いであったにも関わらず、年末編成という放送局側の事情もあり、多くのFNS系列局が同時ネットした「地上波全国同時ネットでの長時間再放送」という珍しい企画であった。
総集編
『踊る大捜査線特別編 湾岸署事件ファイル』(1997年12月29日 視聴率 13.5%)
TVシリーズ本編全11話を2時間にまとめたもの。『踊る大捜査線 歳末特別警戒スペシャル』の番宣を兼ねて、その前日に放送された。
その他
シナリオを朗読する「読むドラ」企画でTVシリーズ第2話が放送された(第13回、2004年11月25日、CSフジテレビ721)。

TVスペシャルドラマ
「踊るレジェンド」やミニドラマ等「踊る」シリーズの世界設定・時間軸で作られた正規の関連ドラマを含む。特に明記されていないものはフジテレビでの放送である。

『踊る大捜査線 歳末特別警戒スペシャル』(1997年12月30日、視聴率25.4%)
『踊る大捜査線 歳末特別警戒スペシャル完全版』(地上波放送無し)
初回放送時にカットされたシーンの追加があるため約20分長い。
『踊る大捜査線 歳末特別警戒スペシャル完全版+α』(2003年12月29日)
出演者インタビューや湾岸署内のモニター映像「プロジェクトK」などが追加されている。
『踊る大捜査線 番外編 湾岸署婦警物語 初夏の交通安全スペシャル』(1998年6月19日、視聴率24.9%)
内田有紀演ずる湾岸署に配属された新人婦人警官が主人公の番外編。サブタイトルは放送時期に合わせて「初夏」となっているが、作中の設定は1998年4月(春)である。
『踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル』(1998年10月6日、視聴率25.9%)
『踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル完全版』(1998年11月22日、BSハイビジョンで放映)
初回放送時にカットされたシーンの追加があるため約20分長い。
『踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル完璧版』(1998年12月22日、視聴率21.4%)
完全版にさらに未公開シーンと新たに撮影された部分が追加された。またこのほかにオープニングに第1話から番外編までの回想総集編が追加された。
『深夜も踊る大捜査線 湾岸署史上最悪の3人!』(1998年10月12日~16日)
1話約10分のスリーアミーゴスが主演のミニドラマ。
第1話『部下のミスは、部下のミス』(1998年10月12日)
第2話『経費削減は、事件削減より』(1998年10月13日)
第3話『猟奇殺人は、袴田の娘!?』(1998年10月14日)
第4話『上級国家公務員とその他の人々』(1998年10月15日)
第5話『頑張れ!中間管理職』(1998年10月16日)
『夕方も踊る大捜査線』(1999年2月5日)
『深夜も踊る大捜査線』全体を約30分に編集した再編集版
『踊る大ソウル線』(2001年9月21日)
湾岸署のメンバー(恩田すみれ、和久平八郎、真下正義)が殺人事件の犯人を追って韓国に行ったところ、犯人が湾岸署管内で逮捕されてしまったために韓国出張を取り消されてしまい、後からやってきた「スリーアミーゴス」と自腹で観光旅行することになるという設定でのドラマ形式による2002 FIFAワールドカップ記念の韓国情報番組。ソウル市警察庁が全面協力している。番組の性格上、映像商品化はされていない。君塚良一の著書「裏ドラマ」では本作を「スピンオフ」と呼んでいる。当然ではあるが「踊るレジェンド」シリーズには含まれていない。
『深夜も踊る大捜査線2』(2003年7月14日~18日)
1話約15分のスリーアミーゴスが主演のミニドラマ。『プロジェクトKができるまで』というストーリーもある。
第1話『嘘だらけの自伝でも伝説の始まり』(2003年7月14日)
第2話『取調室は犯人との対決の場』(2003年7月15日)
第3話『廊下を歩けば私の記憶を呼び起こす』(2003年7月16日)
第4話『応接室は所轄と本庁の折衝の場』(2003年7月17日)
第5話『後悔も誇りも彼という刑事に出会った事』(2003年7月18日)
『前日も交渉人 真下正義』(2005年5月6日、スカパー!「真下正義チャンネル」にて放送)
のちのDVDの特典ディスクに収録されている
『踊るレジェンドドラマスペシャル逃亡者 木島丈一郎』(2005年12月10日、プレミアムステージ枠)
視聴率15.6%。2006年10月20日にも放送された
『踊るレジェンドドラマスペシャル弁護士 灰島秀樹』(2006年10月28日、土曜プレミアム枠)
視聴率16.8%。
「逃亡者 木島丈一郎」、「弁護士 灰島秀樹」は、「交渉人 真下正義」、「容疑者 室井慎次」と共に「踊るレジェンド・スペシャル・プロジェクト」として2006年10月に放送・再放送された。なお、このプロジェクトでは、真下正義(ユースケ・サンタマリア)、室井慎次(柳葉敏郎)、木島丈一郎(寺島進)、灰島秀樹(八嶋智人)の踊るレジェンドシリーズの主人公4人によるトークが放送開始前と放送終了後に挿入されている。
『踊るレジェンドドラマスペシャル警護官 内田晋三』(2007年1月27日、土曜プレミアム枠)
『トリビアの泉 今夜復活踊る大へぇへぇ祭り!!』内にて、トリビアの種「踊る大捜査線の脇役でスピンオフで主役ができる限界は?」の検証VTRとして放送